萩原で暮らす人たちの声

どきどき萩原

熊﨑 惣太さん

下呂市萩原地区在住。結婚後、奥さんの妊娠を機にUターン。
杉玉職人をしながら、米農家で働く。

杉玉にかける情熱 

下呂市萩原町奥田洞。

屋号「高林」の名の通り、自宅兼作業小屋のあるそこは、国道から入った小高い場所にある。

息子さんである惣史郎くんが、近所に訪れるカモシカを「ワンワン」と呼ぶのも納得できるほど、森林に囲まれた集落だ。

ここで生まれ育った熊﨑惣太さんは、高校卒業後、上京。東京農業大学を卒業し、飲食店で3年間勤務。その後、NPO法人に所属し中国での植林活動や地域づくりの手助けなどの仕事をしていた。2018年の10月にそれまで暮らしていた神奈川県川崎市を離れ、奥様とともに帰郷し、現在は父、母、姉、惣太さん夫妻と息子さんの家族6人で暮らしている。

現在は先代から家業として始まった「杉玉づくり」を継承し、新しい形で展開しているという。

『杉玉』とは選別した杉葉をいくつにも結いまとめ、それらを特殊な方法で組み込み球状にしたもの。

商売繁盛や良い酒が仕上がることなどを祈り、酒蔵の軒先に飾られる。1年ごとに取り換えられることから、店先に新しい杉玉がかかると新酒の知らせだと喜びの声が上がるという。

「長男の自分はいずれ故郷に帰り、実家を継ぐという意識が常にあった」と話す惣太さん。

そのため、東京で仕事をする傍ら、帰郷後すぐに自分のスタイルで家業を進められるようにと段取りを進めていった。準備を始めたのは下呂に戻る5年前になるという。

杉玉を販売するネットショップを開設し、それまで造り酒屋が主だった取引先を全国の日本酒を扱う飲食店や酒販店に広げることに積極的に取り組んだり、都内で杉玉製作ワークショップを行うなど、一般の方や、より幅広い世代の方に杉玉を身近に感じてもらえるような工夫をしてきた。

こうした活動が功を奏して、東京の店舗に納めることも増え、先代が下呂で製作をし、東京に住む惣太さんが、お店に足を運びその杉玉の確認やお店の意見を聞き取ることも珍しくなくなった。幾度と重ねるたびに自分の理想の杉玉の形が出来上がったという。

そして準備期間を経て、いよいよ下呂に帰郷した惣太さん。

現在は下呂市内の会社勤務と杉玉製作を両立させながら暮らしている。

 「東京で働いていた時と比べたら、収入は半分くらいかも。(笑)その時はお酒を飲みに行く、フラッと入ったお店で気に入ったものを買うなんて当たり前だったけど、今ではどこに行くにも車が必要。家族も増えてお金の使い方も変わった。」と話す。

休日は東京出身の奥さん、息子さんと森林の中へピクニックに行くこともあるという。

「東京にいた頃のように手を伸ばせば何でもそこにある生活はできなくなった。でも、その分いまの自分に必要なものや自分がやるべきことがハッキリとわかる。無いものは自分たちで作ればいい。」

目の前に広がる雄大な恵み、先祖からいただいた知恵を最大限に活かし、人と人との橋渡しをしたいと語る惣太さん。これまでの話を聞いていると、点から点を定規でサッと直線で結ぶ様に全てがつながる。

話の端々にでてくる「人」「自然」「お酒」のキーワード。

好きなものは聞くまでもない。

 

そんな惣太さんが帰郷前から意識してきたことがある。

それは地域で行われる行事や祭りへの参加だ。そこではいくつもの「役」があり、子供も含め、それぞれの住人が役割を担うことで一つのコミュニティが成り立っている。

 

「ここで生きていく、というのはテレビで見る田舎暮らしとは全く別のもの。何もない地域だからこそ、慣習や風習がもつ意味合いは大きい。」

東京で暮らしていた惣太さんがわざわざ帰郷し、参加していたことからもその重要性が伺える。

 

都会と田舎。両方の良さと悪さを理解したうえで選んだ帰郷。

ただしそれで終わりではない。そこからつながる、つなげる可能性。

惣太さんはこれまで積み上げてきた経験や人脈を一つひとつ組み合わせひとつの球体をつくっていくのだろう。

 

そう、杉玉のように。

ライター プロフィール
cune

cune

はじめまして!3人のママになり、長年暮らした下呂をまた違う目線で見られるようになりました。身近な発見や幸せを皆さんと共感できたら嬉しいです。