萩原で暮らす人たちの声
桂川融己(かつらがわ ゆうき)
下呂市萩原町出身。
日本生命保険で7年間働いた後、ミャンマーに移住。
新型コロナウイルスを機に帰国し、現在は萩原町でカフェ「Kaung day」を開業。
プレイヤーが少ない=チャンスだらけ
年齢制限なし。0歳から90代と、どの世代の人とも交流できる不思議な空間であるカフェ「Kaung day」で、ミャンマー産のコーヒーを提供してくれたのはカフェのオーナーである桂川融己(かつらがわ ゆうき)さん。
(※「Kaung day」〔カウンデ―〕はミャンマー語で“良き日”のことを表す。)
桂川さんは萩原町で生まれ育ち、日本生命で勤務していた頃は金沢、東京と都市を転々としていた。30歳を目前に控えたころ、自分を伸ばせる環境で30代を過ごしたいという思いに駆られ、仕事を辞めて、日本企業も多く進出していたミャンマーに移住することを決意。移住先にミャンマーを選んだ理由は、日本人が少なく、今後経済発展が見込まれる国で暮らすことで、自身も成長できるのではないかと考えたからだそうだ。
ミャンマーでは人材採用の仕事に従事していたというが、そんな桂川さんがなぜ萩原にUターン帰郷し、異業種でかつ未経験だったカフェの開業に至ったのか。
―萩原にUターンとして帰ってきたきっかけは何ですか。
『コロナが流行りだしたので、とりあえず実家に帰ろうと思ったのが一番の要因ですね。意図的に萩原に戻ろうとしたというよりは、実家があったからという理由に近いかなと思います。当初は2,3カ月だけ帰ろうと思っていたのですが、コロナがさらにひどくなったのと、ミャンマーでのクーデターで戻れなくなってしまったんですよね。』
―どうしてカフェを開業することにしたのですか。
『はじめはカフェをやるつもりはなかったんですよ。動画やパンフレットのディレクションの仕事を行っていたので、人が来やすい事務所として始めて、カフェに発展していったのに近いですね。民間でやりたいようにやっていく拠点としてつくった部分もあります。しかし、都会と比べて萩原には人と話したり、情報交換をしたりする場がないと感じ、もともと自治体や団体を動かすことに興味があったのもあって、萩原に人が集って交流できる場を作りたいと思うようになりました。』
萩原での暮らし
数々の土地で暮らした経験を持つ桂川さん。改めて地元に帰り、カフェを通して多くの人と関わりながらどのような生活を送っているのか聞いてみた。
―萩原に住んでいて、不便だと思うことはありますか。
『交通手段が少なかったり、ものを買ったりするときに不便さを感じることは確かにあります。しかし、「暮らしやすさ」と「便利さ」は紙一重ではないと思うんですよね。暮らしに何を求めるのかは人それぞれだし、選択肢が多いことが必ずしも良いことだとは限らないと思っています。』
―桂川さんは暮らしに何を求めて生活していますか。
『お金とかじゃない、【楽しさ】ですよね。お金は生活していくうえで必要だとは思うのですが、資本主義に踊らされるのは嫌だなと思います。お金とかじゃなくて楽しむということはし続けたいと思います。』
―萩原で暮らしていて、暮らしやすいと思う点はありますか。
『東京にいて感じる余裕のなさを萩原で感じることはないですね。いつでも次のことを考えていなきゃいけない感じと言いますか。そういうのがないという点で萩原は住みやすいと感じますね。』
―Uターンしてよかったなと思う瞬間はどんな時ですか。
『一番は交流の場が作れたことですね。このカフェができたからこそ出会えたお客さんや働いてくれる人とのつながりはおもしろいと思います。ここで知り合えた人と交流できることは本当によかったなと思いますね。』
紡いだご縁が大切なお店の一部に
今あるお店は自分じゃなくてもできたことかもしれない。しかし、結果的に自分の力でお店を開くことができ、様々なご縁で巡り合って一緒に働いてくれている人たちもいる。その人たちの力を借りつつ、自分がいなくても回るような、そんなお店にしたいと語る桂川さんは今後のことをどう考えているのか。
―これからの将来、萩原でどうしていきたいですか。
『自分にしかできないことをやり続けたいです。それと、フットワークの軽さを失わないようにしたいですね。自分だけで及ぼせる影響はたかがしれている。だからこそ、一緒に働いてくれるメンバーを大切にし、人とのかかわりをこれからも大事にしていきたいです。』
―移住を考えている人にメッセージをお願いします!
『下呂は担い手(プレイヤー)が足りていないんですよ。しかし、下呂の担い手不足は言葉を換えれば【チャンス】だらけだということです。マーケットの規模は小さいけれど、その分周りの競合も少ないので、戦い方によっては全然戦えると思います。また、下呂には「何かあったら手助けするよ」と言ってくれる人がたくさんいる中で、助けを求めたりこれをやるんだと旗を立てたりする人は少ないんですよ。下呂のために何かやろうと思っても、声を上げないと「何かしなきゃやばい」という思いだけが独り歩きして、結局何もしないという状況に陥ってしまう。そういうわけで地方は衰退していってしまうと思うんですよね。だから街の外からくる人には、ぜひ新たな風を吹き込んでほしいと思いますね。』
「下呂の魅力である、出会う人たち、過ごす時間や場所は、訪れなければわからないものだが、それはかけがえのない財産だ。」と話してくれた桂川さん。ミャンマーで培った、場所にとらわれずに新しいことに挑戦し続ける姿勢で、これからの下呂をより一層盛り上げていってくれるだろう。
mirairo
下呂市の子育て世代の女性たちが「下呂の暮らしをもっと楽しく!」と 立ち上げたみらいろ。日々の暮らしの中にあるあったかい時間を多くの人に 届けていきたいと思います!暮らしに結びついた下呂の様々な情報を発信します。