金山で暮らす人たちの声

どきどき金山

大前伸伍さん

1982年生まれ、下呂市金山町出身。大前造園株式会社代表。元プロボクサーで、バスケットボールコーチ。2024年、結婚14年目に待望の長男が生まれ、育児に奮闘中。

「選んだ道を正解にする」元プロボクサーの造園会社経営者が語る、ふるさとで見つけた自分らしい生き方 

大前伸伍さん(大前造園株式会社代表/1982年生まれ)インタビュー

下呂市金山町で造園会社を経営し、4期目を迎えた大前伸伍さん。造園業だけでなく、ダム建設などの建設業にも参入。中学・高校とバスケに明け暮れた経験を活かし、地元の子どもたちにバスケの指導も行う。ユニークな経験から得た教訓と、故郷・金山への想いをたっぷり伺った。

■負けず嫌いの原点

―幼少期の思い出は?

「スポーツが大好きでわんぱくな子どもでした。小学生の時は野球と剣道をやっていました。この頃から負けず嫌いな性格でした。」

―中学時代の思い出は?

「憧れの先輩の勧めで、部活はバスケを選びました。バスケはルールさえ知りませんでしたが、持ち前の負けず嫌いで頑張り、益田郡(現在の下呂市)で2位になりました。」

■強豪校でバスケ三昧の日々

―高校時代の思い出は?

「バスケが上手くなった先輩たちの姿を見て、バスケの強豪校である美濃加茂高校に進学しました。当時は東海大会に出場していました。僕のポジションはスリーポイントシューター。シュート練習を毎日200本していました。」

―練習は厳しかったですか?

「厳しかったです。特にシャトルランという走り込みの練習が辛かったです。早朝に登校し、夜遅くまでバスケの練習をする日々でした。」

―バスケをやってよかったことは?

「最高の恩師と仲間に出会えたことです。自分も教える立場となって、恩師と再会しました。大前造園は現在、美濃加茂高校男子バスケ部のスポンサーになっています!今の自分に出来る恩返し、頑張る子どもたちへのエールだと思っています!」

■24歳でプロボクサーになった

高校時代、バスケットボールに明け暮れた大前さん。バスケで推薦をもらい、愛知県の大学へ進学するものの、大学が面白いと思えず、働くことにした。

―社会に出て、いかがでしたか?

「バスケ一筋の生活から一転、打ち込むものがなくなって、抜け殻のようになっていました。就職したものの、やる気が出なくて。勤務態度が悪く、続きませんでした。縁あって、名古屋市の造園会社に転職すると、剪定や庭づくりの仕事が楽しくて。それからは、バスケに打ち込んだように、造園の仕事に没頭しました。たくさんの技術と知識を得ようと、貪欲に働きました。」

―ボクシングとの出会いは?

「造園会社の先輩から勧められて始めました。ジムに行ってみたら、気の強い人がたくさんいて。僕の負けず嫌いが発動し、無我夢中でボクシングをしました。ボクシングは絶えず怪我をします。目の周りが腫れている時はサングラスをして、造園の仕事をしていました。」

―プロボクサーになったきっかけは?

「ジムのトレーナーに勧められたんです。始めて8カ月でプロテストに合格しました。24歳でした。ボクシングの世界では遅咲きと言われる年齢でした。」

■ボクシングで「おおらか」になれた

プロボクサーは試合をしてお金を稼ぐ。チケットを売り、勝ち負けで分配される割合が変わる。プロ初戦、黒星だった。

―引退した理由は?

「働きながらボクシングをしていたので、初戦で負けて、すっぱり辞めました(笑)」

―ボクシングをやってみてよかったことは?

「おおらかになれました。ボクシングって、殴られて、カッとなってたらダメなんですよ。何のスポーツでもそうだと思いますが、常に冷静でなければいけない。冷静でいる訓練ができたと思います。」

■ゴルフ場で13年間、働いた

プロボクサー引退後、造園会社も辞めて、25歳で地元へ帰った。一度でも試合に負けたら、引退して、Uターンすると決めていた。

―仕事は見つかりましたか?

「造園業で仕事を探しましたが、当時は見つからなくて。近くのゴルフ場で13年間、働きました。コースのメンテが仕事です。芝刈りですね。芝について、上司から必死に学びながら『名古屋で学んだ造園の技術や知識はどうする?』と考えるようになりました。」

―起業のきっかけは?

「妻から『せっかく技術や知識があるんだから、自分でやってみたら?人生一度きり、やりたいことに挑戦して欲しい。何かあっても、また一緒に這い上がればいい!』と背中を押してもらったことです。『造園会社を作りたい!』から『絶対、作る!』という想いに変わりました。」

■一度も宣伝をしたことがない

―会社経営は順調ですか?

「4期目になります。造園業・建設業ともに順調で、造園業ではお客様がお客様を紹介してくださり、皆さん、リピートしてくださいます。一度も宣伝をしたことがないです。造園の師匠から『腕2割、愛想8割』と教わった時は『腕の方が大事だろ』と思いましたが、今なら師匠が仰っていたことがよくわかります。お客さんとのコミュニケーションがとても大事です。心の満足を得てくださったお客様は、離れません。もちろん、技術面でも妥協はしません。」

―建設業に参入した理由は?

「造園業は順調ですが、どうしても、冬場、売り上げが落ちます。何かできないかなと思っていたところに、友人が縁を繋いでくれました。」

■結婚14年目で待望の長男誕生

大前さんは28歳で結婚した。結婚14年目で子宝に恵まれた。2024年、待望の長男を授かった。

―お子さんが生まれて、お気持ちは?

「妻から『妊娠した』と聞いた時は、嬉しいのと同時に『この年で親父になるのか』と不安でした。子どもは可愛くてしょうがないです(笑)一緒にお風呂に入ったり、こども園の送迎をしたりと、息子との時間が幸せです。常に挑戦できる子に育ってほしいです。」

―Uターンしてよかったですか?

「よかったです。金山は好きです。故郷は安心します。同級生は何歳になっても、一緒にいて楽しいです。生まれ育った金山に、何か貢献出来ることはないかなと思います。そして、僕のスポーツ人生で学んだことが、子どもたちの役に立てばいいなと思います。」

■自分が選んだ道を正解にする

大前さんは現在、地元の中学でバスケの指導を行い、自身の経験を伝えている。子どもの数が減少し、廃部が迫る。

―バスケの指導は楽しいですか?

「楽しい!できないことができるようになる、子どもたちの成長を見られるのも楽しいし、『嬉しい』『悔しい』といった子どもたちの感情を見られるのも楽しいです。一人ひとり、性格が違うので、努力の仕方が違って面白いです!遮二無二取り組む子どもたちを見ていると、当時の自分を思い出します(笑)」

―地元の子どもたちへ、メッセージをお願いします!

「今の時代、どこにいても、自分を出せると思います。都会・田舎を問わず出来ることや活躍できることがある。広い視野をもってほしい。自分の好きなことをして、その選択を自分が納得する人生を歩んでほしいです。」

―Uターンを検討している人に向けて、メッセージをお願いします!

「例えば、友達が華やかに見える世界にいても、それは友達の正解であって、自分の正解ではないかもしれない。変なプライドは要りません。自分のやっていることへのプライドは捨てないでください。そうすれば、自分の人生に対する満足度が上がると思います。」

―今後、チャレンジしたいことは?

「10年以上、犬を飼っています。私たち夫婦の夢である、犬の保護施設をつくりたいなと思っています!」

―大前さんの半生から得た教訓は?

「バスケという夢中になるものが無くなった時に、何をしたらよいのかと悩んだり、大きな壁にぶち当たったりしました。でも、後悔するのではなく『自分の進んだ道を正解にすればいい』と思うようになりました。その時々の状況を受け入れて、懸命にやれば、満足のいく人生になると思います。周りの人に『大前伸伍って面白いやつだな』と思ってもらえていたら、嬉しいです!」

10代は進路に迷い、20代は仕事に迷い、30代は人生に迷う。40代になって初めて、自分の生き方・暮らし方を肯定できる価値観に巡り合う。顧客の心を掴んで離さない大前さんの人柄は、40年余りの人生経験から培われたものだと感じた。

大前造園株式会社HP

ライター プロフィール
おおしま ゆかこ

おおしま ゆかこ

岐阜県下呂市出身・在住。ボイストレーナー・習字講師で「読む・話す・歌う・書く」レッスンをしています。六歳児の育児中。畑で野菜を作っています。狩猟免許を取得、罠ガールです。